のんびり自転車ダイエット in札幌 ver.2

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初夏の東北ツー 5/27 地元の青年おすすめの廃トンネルへ

湖底に沈んだ宿場町のロマンに浸かったあとは…。

ラーメンを食べに喜多方まで。
国道13号線を通って米沢経由で向かう。

途中、ツーリングマップルに、過去の宿場町として記載のある大滝地区に立ち寄る。
高いところを走っている国道から脇道を少し下る。

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川沿いに集落が見えてくる。
建物は割と新しく、釣り小屋か茶屋として営業していたようだ。

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碑文

「大滝は、明治十年万世大路の建設基地として生れた。
万世大路は同十四年秋完成、秋(とき)あたかも東北、
北海道ご巡幸中の明治天皇のご行列によって通り初めが行われ、
開通後は人馬の往来が激しく、
大滝は難所栗子峠を控えた重要な宿場街として栄えた。

しかし、同三十二年國鉄奥羽線の開通により客足は途絶え
二十年足らずで宿場街は終る。
以来明治、大正、昭和の三代を山懐に抱かれた平和な山村として過した。
統計によると昭和十年の人口は二六六人、四三世帯に達し、
この頃が大滝の最盛期であった。

第二次世界大戰後、日本経済が高度成長を続けていた昭和四十年頃より大滝は、
都市との経済格差が著しく拡大し更に、國道の大改修で路線からも外れ
次いで興ったエネルギー革命により、主産業であった木炭の需要を失って
毎年離郷者が相次ぎ、昭和五十四年を最後に開郷百二年の歴史を閉づるに至る。

かつて明治天皇が御駕籠を休められたゆかりの里、
大自然の中に祖父子三代かけて築き上げた大滝文化も今は昔の語り草、
人去って青山あり、出身者一同万感の想いをこめて
ここに記念の碑を遺さんとするものなり。

ここかしこ わかれてすむも おおたきのさと」


集落の元住人の方がわが大滝の記録としてウェブページを公開しておられる。
http://ootaki.xsrv.jp/


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ここに43世帯、266人か。うーん。

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真新しい御影石のお社がすえられた山神神社より、
かつての街道を望む。

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これらの廃屋も、やがて風雪にさらされ、土に帰っていくんだろう。


と…。
一人あやしく廃墟見物をしていたところ、一台のジムニーが通りがかり、
そこから三人の青年が降りてきた。
それとなくお互い距離を取り、挨拶を交わす。

札幌から来たんですか、こういうのお好きなんですかと、何気ない会話をするうち、
「ならば、ぜひ見てもらいたい場所がある。
それは国道に戻ってすぐ、旧国道の廃トンネルで、バイクなら簡単に行けるはず。」

そこまで言われて、訪ねないわけにはいかないよな。
つまり、碑文にあったように昭和四十年頃まで使われていたトンネルというわけだな。

(ついうっかり、廃墟探索は旅のついでで、地図を見て興味が出たからだよと、
見栄というか嘘をついてしまった。反省。)



礼をのべて国道に戻り、旧道の入り口を探すと、すぐに見つかった。
現道のトンネルのすぐ手前である。

割と石でガタボコしてる林道を上っていく。10分ほどであっさりトンネル到着。

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ついた!
木漏れ日と廃トンネル…良い…。

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二ツ小屋隧道とな。
これだけアクセスしやすければこの界隈の人たちにとっては有名な隧道だろう。
それでも良いもんだ。
中からはしきりに水音がしている。

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天井にぽっこり穴があいて、そこから雨漏り。良い。

意外なのは北海道だとこういうトンネルは完全にふさいでしまうか、
作業場があるとしてもがっつりゲートで閉じてしまうものだが、
地域柄というものなんだろうか。
(このトンネルの先にも軽自動車が二台ほど停まっていた)

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それで、古びた橋を渡ったあたりから道がヌチョヌチョになり出し、
やばっちい(汚らしい)ことこの上ない。
トンネルは見たし、青年たちとの約束は果たしたのでここでUターン!

素敵なトンネルとの出会いをありがとう、三人の青年さん。

さて、米沢までは国道13号をちょっとだけ進み、
昨日気になった峠駅へ寄り道してみる。

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昨日は「ここが県道かぁん?」などと毒づいていたものの、
晴れているとメッチャ気持ち良い!

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ほどなく峠駅の茶屋へ着く。
中は…昭和で時間が止まったような空間だった。
名物のお餅とお茶をいただく。もっちりしてて(当然)うまい!

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峠駅は鉄道ファンには有名らしいね。


峠駅を寄り道したあとは米沢市街地へ。

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やっぱり米沢城跡を見ないわけにいかないよな。
城郭はなく神社になっており周囲は広々とした芝生の公園。

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没後400年ということもあってか、直江兼続推しがすごい。
博物館に入っても特別展示が。
せめて小説で前知識でも入れておくべきだったな。
米沢に来るとは思ってなかったもんだから。
ざっくりとした相関関係しか知らないんだ。

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上杉氏の廟所にもお参り。
といっても謙信、景勝くらいしか知らぬ。

米沢の道は交通量も少なく割と走りやすい。
いよいよ喜多方へ!とその前に。

国道沿いに館山城跡という案内看板があり、慌ててそちらへ向かう。

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誰もいない。
奥に見える小山が城跡だろう。
看板には、「私有地につき立ち入り大歓迎」と書いてある。

館山城保存会の有志の皆様の手によって、この城跡は整備されているのだ。

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このように、案内看板があちこちにあって、
かつての城の有り様が手に取るようにわかるのだ。

城跡をつぶさに見るにはかなりの坂道を上らねばいけないが、
坂で難儀をしないようにと、ストックまでおいてある。

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おかげさまで当時の石垣や土塁など思う存分見て回れる。

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城跡からの眺め。
敵が近づいてきたら、丸見えだったろうな。

訪問ノートにお礼の言葉を綴ってその場を後にした。


さぁ、時間も良い感じになってきたし、喜多方ラーメンだ。

ついた。
さっそく宿にチェックインして、徒歩で喜多方市街地をぶらつく。

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超~有名店(らしい)の坂内食堂で初めての喜多方ラーメンを食す!
店構えは普通の食堂なんだけど、ガラガラッと引き戸を開けると、
中はお客さんでびっしり!驚いた。
麺はもっちり、チャーシューがたっぷりで、最後まで飽きずに食べられた。
うめぇ!喜多方ラーメン超うめぇ!
食べ終わったころには6人ほどの行列が出来ていた。
そりゃみんな並ぶわな!並ばずに食えてラッキー。

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喜多方はラーメンだけでなく蔵のまちとしても有名…なんだって。
ラーメン神社も蔵造り。

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右を向いても左を向いても蔵、ちょっと入れば雰囲気のある小路。

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シャッターにはラーメンのイラスト。

30分ほど散策して、宿に戻り、今度はコインランドリーへ向かう。
ここ二日間ずっと気温が高く、今日も城跡見物で汗をかきまくったからな。

コインランドリーについてあれこれしていると、
先日のサイドバッグ破損に引き続き、
今度はシートバッグのバックル部分がもげているのに気がついた。
そりゃ、ガタボコ道も構わず突入してれば、プラスチックから壊れるわな。
別のベルトのバックルを移植して事なきを得たけど、
シートバッグも買って5年目だし、これくらいが寿命なのかもしれない。

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おやど。
冷蔵庫がない以外は完璧です!
親しみやすい女将さん、お手頃な値段、
ボロくなく清潔で重厚な作りのお宿、朝ラーメンも徒歩圏内!
次回も泊まりたい、というよりラーメンを食べに喜多方に来たいと、
次の日との二日間の滞在で強く思ったのだった。


明日へつづく