2021/4/23 歩古丹 探索記
オロロンライン、日本海沿いの廃漁村、歩古丹(あゆみこたん)を訪ねる。
国道231号、日方泊トンネルとマッカ岬トンネルの合間、道はぐいぐい高度を稼いでいくが、その海側に、ひっそりと忘れ去られた(知ってる人には有名な)歩古丹の集落がある。
航空写真からは、小学校の建物がしっかりと確認できるんだが、そこに至るまでの道はすでになく、急斜面を降りていくしかない。
かつて歩古丹との人やモノの往来は船運が主だったようだ。それもそのはず、ここは長らく北海道で陸の孤島と言われた雄冬にほど近く、雄冬~増毛間は奇岩、断崖の続く、いまだに道路改良工事の絶えないところ。
もう数年前に通りがかったとき、断崖の下にある番屋のような建物の屋根が気になり、ネットで調べてそれが小学校跡だと分かった。そして最近、「もうあと数年で倒壊するだろう」という情報を得て、夏になればいちめんの藪となるこの急斜面を降りていくには、ダニのいない今の時期しかないだろうということで、焦燥感でいてもたってもいられず、行ってきたのだった。
数日前に起きた国道231号、送毛付近の土砂崩れにより、当別青山より道道28号~国道451号の迂回ルートを取ることになった。
国道沿いには歩古丹の名を冠したバス停がある。
バイクを止めて国道を歩き、降りられそうな箇所を探す。
フルフェイスメットで徘徊する姿はまんま不審者であるが、転落やヒグマと遭遇したときの防御力がそれなりにはあるだろうと思って、いつもどこかを探索するときにはこの姿である。
国道から目指す海岸を見下ろすと、ちょっと分かりづらいけどかなりの高度感で腰が引けてしまう…。
まぁ行くべし。向こうに旧国道の覆道が見える。
降りちまったからもう引き返せないぞ…。
海岸に降りたところで小学校の建物が見えた。
ここからは岩場を歩く。
歩古丹の集落がどんどん近づいてきて興奮度はMAX、しかし足場が悪いので手ごろな流木を拾い即席の杖とし、はやる気持ちを抑え、足元に気を付けつつ進む。
とうとう歩古丹小学校の全体が見えた。
とうてい自分の目で見るのは無理だと思っていたので感慨もひとしお。今回の訪問に当たっては、先人たちの訪問記を見て、大いに勇気づけられた。感謝したい。ただやはり他人におすすめはしにくい。登山などする人からすると、大した高低差でもないんだろうけど、やはり足を滑らせたら下手すると死ぬというリアルな現実がある。
手前の建物は基礎と煙突だけが残っている。
立てかけてあるのは流木の杖。(攻撃力+3)
ほとんど壁しか残っていないようだ。
白い大便器が瓦礫の中から顔を覗かせている。
トイレがあるということは、こちらは裏側なんだろう。
小便器は壁ごと倒れてしまっている。
入口を横切って…。
校門から校舎を望む。
廊下はごらんの通りで中を探索するのはちょっと躊躇われる…。
屋根はすっかり抜け落ち、やがて壁だけになってしまうだろう。
昭和46年閉校とあるから風雪に耐えて50年、よくぞここまで残っていてくれたもんだ。
黒板も落ちてしまっていた。
こちらの教室もご覧の通り。
春の陽光が素通しに幾何学模様を描く。
正面玄関の目の前が日本海。
船着き場が見下ろせる。
校舎の裏側に回ってみる。
こちらも煙突や便槽のようなものが残っている。
鉄製のブランコには蔦が絡まり、すっかり同化してしまっていた。
学校裏側、斜面に沿って何段か平坦地があり、それぞれのスペースに生活用具が散乱していた。
巻き上げ機のようなもの。
ビール瓶がきらきらと輝いていた。
ガラス製の浮き。
一瞬、持って帰ろうと思いもしたが、とっていいのは写真だけである。
薪だろうか。50年も経ったにしては原型が残っている。
集落の高台から。
一羽のカラスがここらを縄張りとしているようで、つかず離れずこちらの様子を伺っていた。今の住人はこのカラスだけということか。
灰色の集落を彩っていたのは、スイセンの黄色い花と、頭の赤い境界石と、白い便器だけだった。
帰りは岩場歩きを嫌って、集落の高台からそのまま国道までの斜面をジグを切りつつ上っていったが、途中から小さな沢があったりしてヌルヌルベチョベチョになり、けっこう大変だったことを付け加えておく…。